鬼化したオタク――その姿は、まるで『鬼滅の刃』に登場する猗窩座そのものです。
強さを求め、認められたいという想いに溺れ、気づけば“人間としての心”を忘れてしまった存在。
けれど、彼が最後に見せた涙には、確かに「人としての優しさ」が残っていました。
目次
推し活の“原点”を思い出すとき
推し活も同じです。
どんなに複雑な感情を抱えても、根っこの部分には「推しが笑っていてほしい」という純粋な想いがあるはず。
その気持ちを思い出せたとき、人は“鬼”から“人間”に戻ることができます。
推しに認められなくても、特別になれなくても、
「推しが今日も元気でいてくれる」――それだけで十分に幸せ。
そう思える瞬間こそ、推し活の本質であり、救いの光です。
“応援”の形が変わる瞬間
猗窩座が最後に師匠や恋人の記憶を取り戻したように、
私たちもまた、推し活を通して「人を思う気持ち」を思い出せる存在でありたい。
それは、もはや“自分の承認”を求める行為ではなく、
「推しを通して他人にも優しくなれる」生き方に変わっていくということ。
推し活は、誰かを愛することで自分の心を磨く“修行”のようなもの。
推しはその道を照らす光であり、私たちはその光に導かれて成長していく。
そして――
どれほど闇に飲まれても、心を取り戻した瞬間、人は再び“人間”として笑えるのです。
それが、推し活の中にある「救い」だと私は思います。
次回予告
最終回となる第5話では、この全てを総括し、
「推し活を人生のエネルギーに変える方法」について語ります。
“推しと生きる”という生き方の真意に迫ります。
推し活プレス編集部S

